日光街道沿いに建つ源長寺(読み方はげんちょうじ)は、江戸時代から参拝者が多く宿場町として栄えた、400年以上の歴史がある浄土宗寺院。
正式名称は「浄土宗 稲荷山 勝林院 源長寺」です。
仁王像が安置された立派な山門前は、ちょっとした庭園のようにきれいに整備され、整えられた清々しい雰囲気がある気持ち良い境内。
徳川13代将軍家定が鷹狩りの際に御膳所として利用したことがあり、石出掃部亮吉胤(区指定記念物)や大坂冬の陣の西軍の武将である矢野和泉守、女行者心静法尼のお墓の他、三遊亭円朝が報恩寄進した石燈籠、寺子屋師匠だった多坂梅里翁の筆子塚(追悼碑)や一啓斎路川句碑などがあります。

目次
・歴史とご本尊・ご利益
・山門
・子育延命地蔵尊
・境内
・本堂
・石燈籠と心静法尼のお墓
・御朱印
・アクセス
・近くにある神社・寺
源長寺の歴史とご本尊・ご利益
ご本尊は阿弥陀如来。
1610年(慶長15年)。
もともと稲荷社があったところに創建した浄土宗寺院です。
開山は、浄土宗の僧侶で勝願寺(埼玉県鴻巣市)の住職を務めていた円誉不残(えんよふざん)。
開基は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名である伊奈忠次(いな ただつぐ)。
ただ、実質的な創建者は足立区千住掃部宿(現・仲町)の開発者である石出吉胤(いしで よしたね)。
一族の菩提寺として開きましたが、敬慕していた代官頭(後の関東郡代)の忠次を立て、寺名には忠次の戒名「勝林院殿前備前太守秀誉源長大居士」からつけています。
ちなみに埼玉県川口市にも、同じ源長寺の名の伊奈忠次ゆかりのお寺があります。

源長寺の山門
京成本線千住大橋駅から北に6分程度のところ、日光街道と墨堤通りの交差点に鎮座。
旧日光街道沿いに建つ風情ある山門が目印です。
扁額には山号の「稲荷山」。


ガラス張りの門の左右には高さ2.3mの木彫り(ヒノキ製)の仁王像がにらみをきかせています。
上品でいて迫力満点!


源長寺の子育延命地蔵尊
山門外側(北側)には、子育延命地蔵尊を祀る堂宇。
堂宇の前には小さなつくばいが置かれ、「掃部(かもん)宿門 旧跡延命子育地蔵堂」の石碑が。
子育てや健康長寿の祈願所で、元千寿七福神の寿老人。
現在の千寿七福神の寿老人は元宿神社になります。


源長寺の境内
山門をくぐると正面に本堂。
両サイドには竹が植えられ、稲荷社や庚申塔が並んだ落ち着いた雰囲気の境内。


稲荷社は、もともとここにあったお稲荷さまでしょうか?
蘇我馬子が作成した聖徳太子像が納められていたと伝わっています。

源長寺の本堂
精錬されたきれいな鉄筋コンクリート造の本堂は、一部には金の装飾も見られる仏教様式。


扁額には「源長寺 増上寺八十三世 徹誉法道」。
徹誉法道(てつよ ほうどう)は、大本山増上寺の法主を務めた人物です。
お賽銭には徳川家の「三つ葉葵(みつばあおい)」。
開山の円誉不残は徳川家康公と親しい関係にあり、三つ葉葵の使用を許されていたそうです。


源長寺の石燈籠と心静法尼のお墓
手前左側には、落語家の三遊亭円朝が心静に報恩寄進した石燈籠。
三遊亭円朝が咽喉を痛めて声が出なくなった際に、心静法尼という行者の法力によって回復。
その報恩として建立されたそうです。
奥には、大山阿夫利の女行者である心静法尼のお墓。

源長寺の御朱印
本堂に向かって右手にある寺務所にていただけるようです。
御朱印はご本尊の「阿弥陀如来」。

源長寺の詳細
源長寺へのアクセス
- 京成本線:千住大橋駅より徒歩6分
- 各線:北千住駅より徒歩9分
源長寺近くの神社・寺
| 河原町稲荷神社 | 千寿七福神の福禄寿。浅草神社の兄弟狛犬がいる「やっちゃ場」の守護神です。 |
|---|---|
| 白幡八幡神社 | 普段は無人の静かな神社。千住七福神の毘沙門天も祀っています。 |
| 仲町氷川神社 | ご祭神は素戔嗚命。江島神社や三峯神社、稲荷神社、天満宮などもあり。 |
| 千住神社 | 境内には富士塚もあり、願かけ恵比寿をはじめたくさんの神様がいます。 |
| 橋戸稲荷神社 | 元気な狛狐さんが守る神社。土蔵造りの本殿の観音開きの扉には鏝絵が描かれています。 |






