東京都新宿区余丁町に鎮座する厳島神社は、古くは源義家が戦勝祈願した古社。
境内の参道が南北に通り抜けできるという独特の造り方から、通称「抜弁天 厳島神社(読み方はぬけべんてん いつくしまじんじゃ)」と呼ばれています。
また、義家がこの地で祈願し苦難を切り抜けたことから、「悪運・苦難を切り抜ける」ご利益に通じるとされている縁切り・開運のスピリチュアルなパワースポットです。
ちなみに、近くに鎮座する西向天神社の兼務社。
例大祭は9月におこなわれています。

目次
・ご祭神・ご利益
・歴史
・鳥居
・境内
・社殿
・御朱印
・新宿山ノ手七福神
・アクセス
・近くにある神社・寺
抜弁天 厳島神社のご祭神・ご利益
ご祭神は、神道では古事記に出てくる水の神様、五穀豊穣の守り神さまと言われる市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。
金運や縁結び、芸事上達の神さまである仏教の弁財天と習合されています。
また、江戸六弁天と新宿山ノ手七福神の一つ。
ちなみに他の江戸六弁天は以下↓
江の島弁財天の分霊を勧請した一ツ目弁天(江島杉山神社)。
琵琶湖の竹生島になぞらえて中之島を築き建立した不忍弁天(寛永寺 不忍池弁天堂)。
江戸湾の海難除けとして創建された洲崎弁天(洲崎神社)。
富岡八幡宮の別当、永代寺の塔頭の一つだった冬木弁天(冬木弁天堂)。
源頼朝の奥州征伐にまつわる伝承がある松橋弁天(金剛寺)。
抜弁天 厳島神社の歴史
創建は平安時代中期の頃、1086年(応徳3年)。
源義家が奥州平定に向かう際に、この地にて安芸国(現・広島)の厳島神社に向けて戦勝祈願。
見事戦勝した御礼として厳島神社を勧請・創建したのが始まりです。
江戸時代の頃には稲荷神社と、別当寺の二尊院(現・廃寺)も同じ境内にありました。
5代将軍徳川綱吉が生類憐れみの令を発令した際には、近くに犬御用屋敷も作られたのだとか。
数万匹もの犬がいたというのですから規模がでかい。

抜弁天 厳島神社の鳥居
東新宿駅と若松河田駅の中間辺りに鎮座。
車の通りが多い抜弁天通りと団子坂下との交差点で、交差点の名前はもちろん「抜弁天交差点」。
高いビルの隣、角にあたる部分に玉垣と緑に囲まれた境内がありました。
大きな交差点の一角なのですが、境内に入ると不思議と喧騒が感じられません。


「抜弁天」という呼び名の由来の一説からも、鳥居が南北に二つ。
南から北へ、北から南へと境内を通り抜けできるようになっています。
縁切りを願うなら境内を南北に通り抜けるのが良し。
悪縁からの抜けられるそうです。
どちらの鳥居の扁額にも「抜弁天 厳島神社」。
数メートル先に反対側の鳥居が見えるほど距離が近いです。
↓北側




↓南側



抜弁天 厳島神社の境内
コンパクトな境内には、小規模でもしっかりとした造りの社殿と手水石、弁財天を祀る場所では定番の小川とあり。
二つの鳥居が参道でつながり、その中間辺りに社殿が鎮座しています。

小川の水はきれいで、鯉が気持ちよさそうに泳いでいました。


池の中に置かれている手水石のところには、いかつい顔をした龍。
結構なにらみ具合です。
ちなみに、こちらの龍は作りがしっかりとしていて、後ろを見ると池の中にまで続く見事な尾があります。
まさに龍神様です。


抜弁天 厳島神社の社殿
社殿前には鳥居。
その先にかかる橋を渡ったところに社殿。


社殿の周囲は柵で覆われ、石がびっしりと敷かれていました。
かろうじてお賽銭箱には手が届く距離。

抜弁天 厳島神社の御朱印
社殿向かって右側に社務所がありますが、新宿山ノ手七福神めぐりが行われているお正月以外は閉まっているようです。
御朱印は近くにある西向天神社の社務所でいただけます。


抜弁天 厳島神社の新宿山ノ手七福神
新宿山ノ手七福神は、年間を通しておこなわれている七福神めぐり。
授与品では、ご朱印、ご神体(ミニ御尊像)、宝船が頒布されており、新宿観光案内所で新宿山ノ手七福神めぐりのガイドマップが用意されています。
布袋尊…太宗寺
恵比寿神…稲荷鬼王神社
福禄寿…永福寺
弁財天…厳嶋神社
寿老人…法善寺
大黒天…経王寺
毘沙門天…善國寺
抜弁天 厳島神社の詳細
抜弁天 厳島神社へのアクセス
- 東京メトロ副都心線・都営大江戸線:東新宿駅より徒歩7分
- 都営大江戸線:若松河田駅より徒歩7分
抜弁天 厳島神社近くの神社・寺
| 永福寺 | 新宿七福神の福禄寿。露座の大日如来像と地蔵菩薩像が安置されている曹洞宗寺院。 |
|---|---|
| 法善寺 | 山の手七福神の寿老人。日蓮宗の守護神「七面明神像」が保存されています。 |
| 西向天神社 | 太宰府にむけて社殿を西向きに造っている事からこの呼び名に。境内に富士塚があります。 |
| 出世稲荷神社 | 児童公園が併設された白い神社。太田道灌により創建されました。 |






