東京都千代田区九段下にある築土神社(読み方はつくどじんじゃ)は、周囲に靖国神社や日本武道館、皇居などがある日本近代史の中心ともいえる場所に鎮座しています。
築土神社には怨霊として恐れられた平将門公が合祀(もともとは主神)されており、多数の伝説と謎が残る、知る人ぞ知るちょっと怖いスピリチュアルなパワースポット。
また、築土神社といえばビルの上にある御神剣、登録商標になっている「繋ぎ馬」で有名です。
目次
・ご祭神とご利益
・平将門公伝説
・歴史
・鳥居
・参道
・社殿
・境内末社・世継稲荷神社
・御朱印・お守り・絵馬
・築土祭
・アクセス
・主な行事・お祭り
・近くにある神社・寺
築土神社のご祭神とご利益
主神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫である天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)。
平将門公と菅原道真公を合祀されています。
もともとは平将門公が主神でしたが、明治時代の頃に「天皇に反逆した逆賊」といった風潮が広がり、天津彦火邇々杵尊が主祭神になりました。
平将門公は多くの戦いで勝利を収めている事、築土神社は日本武道館の氏神である事からも、勝負運にご利益があると言われています。
築土神社の平将門公伝説
築土神社の創建は、京都でさらし首になっていた平将門の首を首桶に入れて盗み出し祀ったことから。
首桶は御神体として保存され、江戸時代の記録では中に入ってる「首」が腐らずに安置されていたそうです。
首桶は見ると目が潰れるとして、宮司でさえ簡単に見る事が出来なかったなど、ちょっと怖い逸話が残されています。
1945年(昭和20年)の戦災で焼失してしまいましたので真偽のほどはわかりませんが、将門の首桶の写真は残っているそうです。
築土神社の歴史
940年(天慶3年)に武蔵国豊島郡上平河村津久戸(現在の千代田区大手町付近)にて、平将門の首をご神体に津久戸明神として創建。
現在の江戸城田安門内にて田安明神と呼ばれた時代もありましたが、その後は牛込見附(現在のJR飯田橋駅付近)や新宿区筑土八幡町へと移転し築土明神に改称。
1874年(明治7年)に天津彦火邇々杵尊を歓請したことで築土神社と呼ばれるようになりました。
1945年(昭和20年)に戦災で社殿が全焼したことから千代田区富士見に遷座しますが、1954年(昭和29年)に現在地である千代田区九段の世継稲荷の境内に移動。
境内のビル化により、社殿も現在の形に。
境内末社であった木津川天満宮より菅原道真公を合祀しています。
築土神社の鳥居
最寄駅は九段下駅。
1番出口を出て徒歩数分。
坂道の途中、ビルに囲まれるように鎮座しています。
1994年(平成6年)に建立された明神鳥居の左側には、御神木であるモチの木。
モチの木(常葉樹)は、一年を通して緑色に輝き葉が落ちないことから縁起が良いとされている木で、商売繁盛や身心健康のご利益があると言われています。
参道は高層ビルの下に続いており、ビルの上部には御神剣。
武道の神様・平将門公の御威光にあやかった長さ5メートル程の巨大な剣です。
ちなみに、築土神社があるビル名はアイレックスビル。
築土神社が九段坂からモチの木坂に至る田安の地に鎮座していたことから、「アイレックス=モチの木」という意味でつけられたそうです。
築土神社の参道
高い天井に太い柱の参道。
参道左側にはお正月と9月の年2回、堤燈が掲げられライトアップされます。
公式ホームページでは献灯を募集しています。
なんだか神殿のような参道の先には狛犬と手水舎。
両サイドに控える狛犬は、千代田区内で現存しているものなかでも最古。
千代田区有形民俗文化財に指定されています。
よーく見ると、一方の頭上には「角」、もう一方には「宝珠」が付けられています。
築土神社の社殿
社殿は、円形の宮柱とむき出しのコンクリートが特徴的な、一部に神明造風の構造を取り入れた住吉造。
社殿手前左側には おみくじ自動販売機が設置されています。
本殿御内陣(御扉の中)には3つの扉があり、天津彦火邇々杵尊、平将門公之霊、菅原道真公之霊が祀られています。
お正月と9月の例大祭の時にご開帳されますが、宮司以外立ち入りは不可です。
築土神社の境内末社・世継稲荷神社
本殿の右手には世継稲荷神社。
並ぶ赤い鳥居の先、右側に鎮座しています。
鳥居の途中には手水鉢が置かれており、昔は金魚が飼育されていた名残が残っていました。
曲がり角のところには、古札納め所と千代田区有形民俗文化財に指定されている江戸時代の力石がドン!
「奉納 元飯田町万屋」「中坂下」との銘があり、中央にはそれぞれ「五十三メ目(約198キロ)」「三拾貫余(約112キロ)」と刻まれています(「メ」は「貫」の略字)。
当時の重さの単位は「貫」や「貫目」。
一貫の重さは約3.75キロです。
この力石にあやかり、病気平癒・身体健康の「力石お守り」があります。
力石の近くには1818年(文政元年)の天水桶。
築土神社の登録商標「繋ぎ馬」か刻まれています。
将門公の繋馬には伝説があり、将門が挙兵した時、突然空に一筋の稲妻が走り落下して黒馬に変化。
将門はこれに乗り戦場を縦横無尽に駆け巡ったと伝わっています。
世継稲荷神社の創建は1441年(嘉吉元年)の頃。
当時の地名から田安稲荷と呼ばれていましたが、1590年(天正18年)に徳川家康が江戸城に入城し、息子の徳川秀忠(のちの二代将軍)が築土神社を参拝した際、御神木・橙(ダイダイ)の木があるのに気が付き「代々、子孫が栄える神社」と称賛。
それから、「代々世を継ぎ栄える宮」として世継稲荷と呼ばれるようになりました。
14代将軍家茂の正妻・和宮も子宝を願い参詣しています。
また、滝沢馬琴直筆の絵画や椿椿山が描いた雲龍などがありましたが、1945年(昭和20年)に戦災で社殿が全焼し失われています。
1954年(昭和29年)に築土神社が遷座したのに伴い世継稲荷社殿も再建。
その後、築土神社境内ビル化に伴い現在の社殿になっています。
社殿の右隣には、狐像と石祠が祀られていました。
社殿正面には、戦時中に築土神社の宮司だった山本岸太郎氏の慰霊碑。
東京大空襲の際、燃え盛る世継稲荷の社殿に飛び込み、自らの命と引き換えに御神体を救い出した宮司さんです。
戦後、時の総理大臣・鳩山一郎によって奉納されました。
石碑には「総理大臣 鳩山一郎」の文字も見られます。
築土神社の御朱印・お守り・絵馬
御朱印は書置き。
繋ぎ馬が描かれたシンプルなデザインです。
お守りの種類は多く、開運・厄除・心願成就・交通安全・旅行安全・ペット御守・ 学業成就・合格祈願・力石・病気平癒・健康長寿・商売繁盛・金運向上・縁結び・子宝・安産・仕事守・熊手稲穂付など、さまざまなご利益を祈願したお守りがそろっています。
特に有名なのが「勝守」。
数種類とありますが、なかでも毎年1月15日まで限定頒布している「勝守」は特別。
将門公の黒馬にあやかっているそうです。
珍しいものでは、工事安全・無事故無災害のお守りがあります。
お札には、地元の氏神である築土神社、子孫繁栄を祈願する世継稲荷神社、伊勢神宮御祭神である天照大神(あまてらすおおみかみ)、竃(かまど)の荒神の4種類。
その他の授与品では繋ぎ馬が描かれた絵馬、敬神暦。
お正月限定授与品では、破魔矢の他、干支絵馬や干支絵皿があります。
築土神社の築土祭
築土祭(つくどまつり)とは、9月8日頃から15日の例大祭までおこなれる一連の祭事の総称。
本祭前夜に執り行う宵宮祭。
氏子地域の各御神酒所を回って神輿に御霊入れをする御神酒所回り。
神輿を担いで氏子地域を渡り歩く神幸祭(神輿渡御)。
そして毎年9月15日午後2時に執り行われる例大祭。
約1週間にわたっておこなわれます。
築土神社の詳細
築土神社へのアクセス
- 東京メトロ半蔵門線・東西線:九段下駅より徒歩2分
- 都営新宿線:九段下駅より徒歩2分
- 公式サイト:https://www.tsukudo.jp/
築土神社の主な行事・お祭り
- 1月:歳旦祭
- 2月:節分祭
- 4月:世継稲荷春祭
- 6月:夏越大祓
- 9月:例大祭
- 11月:新嘗祭
- 12月:除夜祭大祓
築土神社近くのおすすめ神社・寺
靖国神社 | 日本人戦没者を祀る神社。東京の桜の標準木、庭園、能楽堂、カフェなどがあります。 |
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東京大神宮 | 伊勢神宮の神々を祀る「東京のお伊勢さま」。縁結びのご利益で有名です。 |
二七山不動院 | ビルの1階にある、東郷元帥と縁がある真言宗のお寺。 |