【下丸子】新田義興公伝説のひとつ!矢口ノ渡頓兵衛地蔵堂

頓兵衛地蔵堂(読み方はとんべえじぞうどう)は、南北朝時代に起きた新田義興(にったよしおき)の謀殺事件に由来するお地蔵さま。

新田義興の謀殺に荷担した船頭の頓兵衛(とんべえ)が、その罪を悔いて作ったお地蔵さまと言われており、摩耗がはげしく溶けたように見えることから「とろけ地蔵」とも呼ばれています。

地蔵菩薩立像は格子扉越しに拝観が可能です。

ちなみに、この頓兵衛は平賀源内の浄瑠璃「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」にも登場し、人形浄瑠璃や歌舞伎で演じられています。

下丸子 矢口ノ渡頓兵衛地蔵尊堂



目次
歴史
お地蔵様
お堂
多摩川七福神めぐり
アクセス
近くにある神社・寺
 

頓兵衛地蔵堂の歴史

このお堂は船頭の頓兵衛(とんべえ)が、自身の罪を悔いて作ったお地蔵様を祀るお堂です。

その罪とは、新田義興の謀殺事件への加担。

南北朝時代に活躍した南朝方の勇将・新田義貞の子である義興を亡き者にするため、北朝の足利側に寝返った旧臣・竹沢右京亮や江戸遠江守らの計略に協力。
頓兵衛が矢口の渡しで舟を沈めたことから、義興公とその部下が悲惨な最期を遂げます。

頓兵衛はその後、足利方の謀略に加担した罪を悔い、義興の冥福を祈るために頓兵衛地蔵を作ったと伝えられています。

 

この出来事は、平賀源内(ひらがげんない)が浄瑠璃「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」にもなっており、作品は人形浄瑠璃や歌舞伎で演じられているほど。

「神霊矢口渡」では、新田義興(にったよしおき)が武蔵国矢口渡で憤死したことから遺族の後日談までが描かれ、足利勢に追われる新田義興一行が乗る舟の底を抜いて謀殺する頓兵衛は、作中で強欲な敵役として描かれています。

 

頓兵衛地蔵堂のお地蔵様

東急多摩川線武蔵新田駅と下丸子駅の中間ほど。

武蔵新田駅北口から線路沿いに歩いていくと、やがて道路脇に建つ木造の小さなお堂が見えてきます。

下丸子 矢口ノ渡頓兵衛地蔵尊堂

 

大きな椋(むく)の木があり、根元には5体のお地蔵様。

その横には「史跡 矢口ノ渡頓兵衛地蔵尊堂」と書かれた案内と、「頓兵衛地蔵 布袋尊 多摩川七福神」と書かれた赤い旗があるのですぐにわかります。

下丸子 矢口ノ渡頓兵衛地蔵尊堂

下丸子 矢口ノ渡頓兵衛地蔵尊堂



 

頓兵衛地蔵堂のお堂

堂内には、「頓兵衛地蔵」と呼ばれる石造の地蔵菩薩立像多摩川七福神の布袋尊が安置されており、格子越しに見ることができます。

舟形光背をもち高さ70cmほどの地蔵菩薩立像は、目や鼻は崩れていることから、別名「とろけ地蔵」とも呼ばれています。

また、「触るとポロポロと崩れる=触るとイボが取れる」として顔が触られ、ますます崩れたのだとか。

実際は風化なんですが、昔は義興公の祟りによって石が溶けたなどとも言われていたようです。

下丸子 矢口ノ渡頓兵衛地蔵尊堂

下丸子 矢口ノ渡頓兵衛地蔵尊堂

下丸子 矢口ノ渡頓兵衛地蔵尊堂

 

頓兵衛地蔵堂の多摩川七福神めぐり

多摩川七福神めぐりは、町おこしの一環で2014年(平成26年)に始まった七福神。

矢口ノ渡頓兵衛地蔵尊堂では布袋尊を担っています。

七福神巡りの色紙は新田神社で、一年を通して頒布されています。

恵比寿…新田神社
布袋尊…頓兵衛地蔵堂
福禄寿…矢口中稲荷神社
大黒天…矢口氷川神社
寿老人…延命寺
弁財天…東八幡神社
毘沙門天…十寄神社



 

頓兵衛地蔵堂の詳細

頓兵衛地蔵堂へのアクセス
  • 東急多摩川線:武蔵新田駅より徒歩4分
  • 東急多摩川線:下丸子駅より徒歩7分


頓兵衛地蔵堂近くの神社・寺
新田神社 武将・新田義興公を祀る破魔矢発祥の地。境内には禁足地の御塚(墳墓)があります。
矢口中稲荷神社 武蔵新田駅沿いにある、京都伏見稲荷を勧請し創建したお稲荷様。多摩川七福神の福禄寿。
下丸子六所神社 鎌倉時代に創建。社名は六柱の神をお祀りした事に由来しています。

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