東京都江東区にある浄土宗の寺院・龍光院(読み方はりゅうこういん)は、光厳寺(雲光院)の塔頭ととして創建された法龍院・清光院・清心院。
大火で深川に移転した後、合併されて龍光院となりました。
深川七福神の毘沙門天が安置されており、毎年お正月には深川七福神巡りでは多くの参拝者が訪れ賑やか。
「二河百道(にがびゃくどう)」を表現した境内も必見です。

目次
・ご本尊・ご利益
・歴史
・境内
・本堂
・御朱印・お守り
・深川七福神めぐり
・アクセス
・主な行事・お祭り
・近くにある神社・寺
龍光院のご本尊・ご利益
ご本尊は、極楽浄土の阿弥陀如来と、観音菩薩・勢至菩薩の両脇侍。
お念仏「南無阿弥陀仏」と称えることで、「誰でも明るく安らかな日々を送り極楽浄土に生まれることができる」とされています。
さらに、境内の東北角が鬼門になることから、鬼門除けとして四天王の一神で北方を守る毘沙門天を祀っています。
当初の石像は空襲で消失してしまったため、身丈三尺の楠の木像として新たに作られました。
深川七福神の一神も担っており、そのご利益は勇気授福。
商売繁盛や金運・財運が上がる福の神として信仰されています。
龍光院の歴史
1611年(慶長16年)、徳川家康の側室・阿茶局の発願により馬喰町の浅草橋近くに光厳寺(雲光院/うんこういん)が建立されたと同時に、塔頭として法龍院、清光院、清心院を創建。
のちの龍光院です。
1657年(明暦3年)の大火で雲光院が焼失し神田岩井町へ移転。
1682年(天和2年)の大火で雲光院一山が全焼し深川に。
1734年(享保19年)、法龍院と清光院が合併して龍光院となり、1788年(天明8年)に更に清心院が合併されました。
震災後、大規模な都市計画でそれまで雲光院西側にあった龍光院が、南側の現在地へ移転し今に至ります。
龍光院の境内
本堂と寺務所があるコンパクトな境内。
境内の地面には、山門から本堂に続く白い道(中央)、左側が赤色の石、右側が青色(灰色)の石が敷かれています。
これは人生の厳しさと阿弥陀仏の救いを表現した「二河百道(にがびゃくどう)」を表現。
「二河=火と水の川」は人の心を表しており、「火=いかり・憎しみ」と「水=こだわり・むさぼり」。
その二つの川の間にある参道「白=極楽往生を願う清らかな心」で、阿弥陀様に向かって一直線に延びています。

龍光院の本堂
コンクリート造りの本堂。
右側には空輪が三つから成る、高さ約3.5メートルの大きな五輪塔(江東区の有形文化財)が。
関東大震災慰霊で旧墓地から移築したと伝わるものの、誰の供養塔であったかは不明。
本堂の扉は普段は閉まっていますが、参拝時間内では扉を開けてお参りすることができます。
毘沙門天神のご真言は「おん べいしらまんだや そわか」。

龍光院の御朱印・お守り
本堂左側が寺務所。
深川七福神めぐりの時には窓口が開いていますが、普段は玄関口の方を訪ねて御朱印やお守りをいただきます。
御朱印にはご本尊の阿弥陀如来と深川七福神の毘沙門天とあり。




龍光院の深川七福神めぐり
深川七福神めぐりは、毎年1月1日から7日(9時から17時まで)の1週間限定でおこなっている七福神巡り。
色紙・福笹・お守りなどが授与されています。
期間限定ということもあり、普段は静かな境内もこの時ばかりはどこも賑やか。
深川七福神めぐりの寺社は以下になります。
恵比須…富岡八幡宮
弁財天…冬木弁天堂
福禄寿…心行寺
大黒天…円珠院
毘沙門天…龍光院
布袋尊…深川稲荷神社
寿老神…深川神明宮
※深川七福神めぐりの様子はこちら
龍光院の詳細
龍光院へのアクセス
- 東京メトロ半蔵門線・都営大江戸線:清澄白河駅より徒歩6分
- 公式サイト:http://www.ryukoin.tokyo/
龍光院の主な行事・イベント
- 1月:深川七福神毘沙門天ご開帳
- 3月:春彼岸中日
- 5月:施餓鬼会
- 7月:盂蘭盆会
- 9月:秋彼岸中日
- 11月:十夜会
龍光院近くの神社・寺
| 雲光院 | 徳川家康公の側室・阿茶局のお墓がある浄土宗寺院。多数のマスコットも。 |
|---|---|
| 浄心寺 | 江戸十祖師のひとつ日蓮宗の寺院。境内には和合稲荷神社も鎮座。 |
| 円珠院 | 深川七福神の大黒天尊。大黒天の掛軸や木造の大黒天、破顔大黒天とあり。 |
| 長専院 出世不動尊 | 阿弥陀如来と不動明王を祀っている浄土宗の寺院。 |
| 霊巌寺 | 松平定信公の墓所がある寺院。江戸六地蔵、山門上部の阿弥陀様など見どころが多いです。 |







