ブラック企業で精神的に追い込まれる

スクールと仕事の両立は、独身だからできたことでした。

カリキュラムを終える頃には、耳の悪さから接客への自信も失いかけていたので、本当にギリギリだったと思います。

ありがたい事にスクールの方で就職を斡旋してくれ、うまい具合に就職先を見つけることができました。
しかも家から徒歩で通える距離。

ただ…

サイト制作会社というわけではなく、ネットワーク関連会社。
たまたま顧客から任されていたサイトがあり、その運営担当者を探していたところだったよう。

まだ会社としての設立年数も数年ほどで、社長と副社長は他にも会社があると…なんだかよくわからない会社でした。
人数も20人いたかなぐらい?

しかも、女性社員なし。

とりあえず、デザインやサイト制作などで実績がないと年齢的にも仕事を選ぶことができないので、修行のつもりでこちらの会社に就職しました。

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前向きに!難聴でもできる仕事探し

大学病院の検査からも、これまでの人生(!?)からも、どんどん耳が聞こえにくくなるであろうことを確信した私は、難聴でもできる仕事探しをすることにしました。

「耳を極力使わない」
「お客様とのコミュニケーションがない」

この2つの条件を満たすもので、20代後半の学歴なしでもできる仕事。

なかなか厳しい条件ですが、見つける事ができました。

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まさに絶望!大学病院での検査結果

紹介状を持って、初めて訪れる大学病院。
人生初です。

この時の気持ちを表現するのであれば、まさに「期待」の一言!

言葉が音として聞こえるのではなく、きちんと言葉として聞こえるのかもしれないとドキドキワクワクしていました。

慶応義塾大学病院で検査したのは、もう15年以上前になるので、細かいことは覚えていません。
ただ、あっちに行ったりこっちに行ったり…広い病院内を移動し、さまざまな検査をしたのだけは覚えています。

そして、めちゃくちゃ疲れたことも…。

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おばちゃんとの出会い

日常生活出の会話にはそこまで困らなかった10代。

ですが!
確実にじわじわと聴力は低下しており、自然と口元をみて会話を聴く術を身につけるように。

いわゆる読唇術に似たもの。
相手との関係やその時のシチュエーションなどで、「こんなこと言っているんだろうな」的に読み取ります。

ただ、逆に言えば知らない人や初めての場所では厳しく…。
また、相手の顔が見えない電話を苦痛に感じるようになってきました。

そんな状況ではあるものの、仕事はホテルの接客業。
意外と性に合っていて、職場では頼りにされることも多かったです。

でも、次第に接客業がきつくなってきました。
言葉の聞き取りが悪くなってきたからです。

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我慢を強いられた10代

「特にできる治療はない」と耳鼻科のお医者様から言われたことからも、1~2年に1回ほど検査をするために受診。
少しずつ下がる聴力ラインを見ては、ため息をつくだけでした。

とはいえ、まだこの頃は高音が聞こえにくいだけで、日常会話にそこまで支障は出ていない状態。
学校でも友人と普通に会話を楽しんでいました。

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