墨田区にある徳之山稲荷神社(読み方はとくのやまいなりじんじゃ)は、住宅街のなかにひっそりと佇む小さな稲荷神社です。
徳之山稲荷神社がある場所は、1657年「明暦の大火」後に、本所築地開発を任された奉行・徳山五兵衛(重政)の屋敷があったところ。
徳山五兵衛は、掘割の開削や湿地の埋め立て、道路整備など、のちの本所の基礎を築いたと言われている人物です。
当時、屋敷内にはた稲荷社が祀られており、徳山五兵衛の死後、その徳を称えて合祀したのが徳之山稲荷神社の始まりです。
毎年5月には徳之山祭りが執りおこなうなど、地元町内会で大切に守られています。
徳之山稲荷神社の境内
屋敷跡とはいえ建物に挟まれた場所にあり、その面影は見られません。
玉垣で囲まれた境内には木々が植えられ、小さい手水舎があります。
その斜め向かいには、白波五人男(しらなみごにんおとこ)の一人で、侠骨剣豪の日本左衛門(にっぽんだえもん)の首を洗ったという「首洗い井戸」があります。
白浪五人男とは、日本駄右衛門を含めた5人組の盗賊の事。
他4名は以下です。
忠信利平(ただのぶりへい)。
南郷力丸(なんごうりきまる)。
赤星十三郎(あかぼしじゅうざぶろう)。
弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)です。
「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」という河竹黙阿弥の歌舞伎作品では、白浪五人男の名乗りのシーンで言う弁天小僧菊之助の啖呵、「知らざあ言って、聞かせやしょう」は有名です。
日本駄右衛門(本名は浜島庄兵衛)を捕まえたのは重政の孫の「秀栄」です。
当時、徳山五兵衛秀栄は火付盗賊改の役にありました。
徳山五兵衛秀栄は、日本駄右衛門に「思い残したことはないか」と尋ね、「日光を見たことがない」という返答から、処刑前に日光参拝を許可したという逸話があります。
徳之山稲荷神社の社殿
徳之山稲荷神社のご祭神は、五穀豊穣の神様である倉稲魂命と徳山五兵衛公。
五穀豊穣・商売繁盛のご利益があると言われています。
コンパクトな境内にはコンクリートで整備された小径があり、小径の先には朱色の鳥居が2つ。
鳥居を入ったところには、扉がついている石の柵で囲われた社殿。
社殿は覆屋(おみや)で保護されています。
徳之山稲荷神社の行き方
地下鉄大江戸線「両国駅」から、日本大学第一中学校・高等学校、第一ホテル両国、横網町公園と通り過ぎ、本所警察署横網交番前の交差点(清澄通り)を渡った近辺。
通りから一本入った場所にあります。
徳之山稲荷神社の詳細
徳之山稲荷神社へのアクセス
- 都営地下鉄大江戸線:両国駅より徒歩6分
- JR各線:両国駅より徒歩13分
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双葉稲荷神社 | 建物の間に鎮座する、きりっとしたまなざしの狛狐が守るミステリアスな稲荷社。 |
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野見宿禰神社 | 相撲協会と縁がある神社。横綱の名が刻まれている巨大な石碑があります。 |
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妙見山別院(能勢妙見山東京別院) | 関西の能勢妙見山の別院。勝小吉と勝海舟親子の信仰も厚い、北極星信仰の聖地。 |
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五柱稲荷神社 | 徳川八代将軍吉宗の世代に勝浦藩主が京都伏見稲荷を勧請、屋敷内に創建。五柱の祭神を祀っています。 |
鳥越神社 | 1000年の歴史がある古い神社。6月の鳥越祭りは迫力あります。 |
徳之山稲荷神社近くのおすすめグルメ
とんかつ いちかつ | 両国駅ガード下にあるトンカツ専門店。安い、ボリューム満点、ハイクオリティと揃うコスパ最強の人気店です。 |
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