溝口に鎮座する興林山 宗隆寺(読み方はこうりんさん そうりゅうじ)は、かつては池上本門寺の末寺であった日蓮宗の寺院。
もともとは天台宗本立寺でしたが、1496年(明応5年)に日蓮宗に改宗されています。
寺名がプロ野球のヤクルトスワローズの村上宗隆(むねたか)選手と同名で、住所が高津監督と同じ「川崎市高津区」ということで、ヤクルトスワローズ・ファンの聖地になっています。
宗隆寺でのお参りの仕方では、本堂だけでなく日蓮上人をお祀りしている祖師堂へのお参りも欠かせません。
目次
・歴史とご本尊・ご利益
・山門
・参道
・本堂
・祖師堂
・御朱印・お守り
・御会式(万燈練り供養)
・アクセス
・近くにある神社・寺
宗隆寺の歴史とご本尊・ご利益
ご本尊は三寶尊。
天台宗本立寺として開山しましたが、1496年(明応5年)の1月に、池上本門寺を参拝し日蓮宗に改宗しています。
改宗したきっかけは、地頭の階方新左衛門宗隆と本立寺住職の興林が異床同夢を体験したことからでした。
寺号を宗隆寺、山号を興林山に改め、本門寺貫首日調上人の弟子となり名を日濃と賜ります。
本堂前、右手には日濃上人(幼少時代)の像があります。
宗隆寺の山門
駅前の飲食店街を抜け、住宅地域の中に鎮座。
すぐ近くには溝口神社があります。
山門前には御題目石碑。
扁額は「興林山」。
ちなみに、宗隆寺には地域猫(さくら猫)の姿をみかけることも。
かわいらしい姿にほっこり。
宗隆寺の参道
山門の正面に本堂。
参道左手には浄行菩薩様や手水舎、そして祖師堂。
宗隆寺の本堂
本堂前には御題目塔。
そして、日蓮宗に改宗した日濃上人像(幼少時代)。
幼い頃の日蓮上人は、善日麿(ぜんにちまろ)と名乗っていたそうです。
本堂の扁額には「宗隆寺」。
ヤクルトスワローズの村上選手の名前「宗隆」と同じ字です。
所在地の川崎市高津区もあわせて、スワローズファンにとっては聖地となっています。
宗隆寺の祖師堂
日蓮宗の寺院への参拝では、日蓮上人をお祀りしている祖師堂は重要な場所。
本堂だけでなく、祖師堂もしっかりとお参りします。
宗隆寺の御朱印・お守り
御朱印やお守りは、本堂向かって右手にある寺務所でいただけます。
万燈の絵が下地になっている御朱印には、「現大神力」と「妙法」などが書かれており、時間によって直書きと書置きとで対応されています。
御守では、肌守りや学業御守り、大黒天神御守、鬼子母神御守、交通安全御守各種と用意しています。
宗隆寺の御会式(万燈練り供養)
蓮聖人の命日におこなわれる御会式(おえしき)は、日蓮聖人への報恩感謝の為の法会。
地元では、毎年10月21日に開催される宗隆寺のお祭りとして広く親しまれています。
御会式は日蓮宗各寺院で、日蓮聖人の命日10月13日に斎行され、前日の12日の夜に万燈練(まんどうぬ)り供養がおこなわれています。
いくぶんか日をずらしておこなうお寺もあり、宗隆寺もその一つです。
宗隆寺の万灯講の方々による万燈練り供養の行列では、境内は昼間のような明るさに包まれます。
万燈は、紙の花をつけた竹ひごを柄のついた提灯や行燈の頭に10本ぐらい取り付けたもので、明りに灯された紙の花が暗闇に美しく浮き出します。
この花は、日蓮聖人が池上宗仲の邸で亡くなられた際、季節外れの桜の花が咲いた故事にならっているそうです。
宗隆寺の万燈練り供養では、結社が万燈をかかげて纏(まとい)を振り、一同団扇太鼓をたたきながら参詣。
境内には地元各地域結社の万燈が7~8基立てられ、これを迎えます。
万燈の行列は大山街道を進み、参道を通って境内に入り、祖師堂にお参り。
お寺からの振舞いをうけ、それぞれ帰途につきます。
祖師堂には、紙の花をつけた竹ひごが各所に取りつけられ、一対の宝前(ほうぜん)が美しく飾りたてられます。
宗隆寺の詳細
宗隆寺へのアクセス
- 東急田園都市線・大井町線:溝の口駅より徒歩6分
- JR南武線武蔵:溝ノ口駅より徒歩8分
- 公式サイト:https://www.soryuji.info/
宗隆寺近くのおすすめ神社・寺
溝口神社 | 安産・子育て・縁結び・家内安全の川崎の祈願所。大きなお多福さんで有名。 |
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久本神社 | 神仏分離で四社を合祀。御朱印は溝口神社にて |
下作延神明神社 | 下作延村の総鎮守社。高台にあります。 |
久地神社 | 立派な御神木・大楠がある、宝くじ当選成就の神社としても信仰があります。 |