東急目黒線奥澤神社から徒歩3分ほどの場所にある、奥沢新田村の鎮守・奥澤神社。
東横各線が走る自由が丘からも徒歩6分と近いです。
緑豊かな境内は世田谷区の保存樹林地。
保存樹木に指定されたシイノキは、幹が空洞になって皮だけで生きていることから「皮だけシイノキ」と呼ばれています。
また、9月第2土曜日に行われる「厄除の大蛇お練り」は、その見た目からもインパクトがあり有名。
江戸時代中期から続く世田谷区無形民俗文化財に認定されています。
目次
・ご祭神と歴史
・境内
・社殿
・境内社
・大蛇お練り神事
・アクセス
・近くにある神社・寺
奥澤神社のご祭神と歴史
御祭神は譽田別尊(ほんだわけのみこと)、稲倉魂命(うがのみたまのみこと)。
もともとの祭神は誉田別命で、倉稲魂之命は旧奥沢本村の鎮守である子安稲荷神社の祭神。
1909年(明治42年)に合祀されたことで2柱となりました。
室町時代、当時の領主・吉良氏の家臣・大平氏が、奥沢城を築城するにあたって世田谷郷東部の守護神として譽田別尊を勧請。
八幡神社と称されていましたが、明治期に近隣の神社を合祀した際に奥澤神社に改称されました。
奥澤神社の境内
通りに面して建つ鳥居には厄除け大蛇がぐるぐる。
大蛇お練り神事で使用された藁製の大蛇でインパクト大!
そのお顔はユーモラスでかわいいです。
鳥居に巻く厄除け大蛇は、例大祭で町内を練り歩いた後に本殿に1年間安置され、その後の1年間に鳥居に掛けられるそうです。
ちなみに、この鳥居は1939年(昭和14年)に取り換えられたもので、以前は木造。
厳島神社(広島県廿日市市)の海中に建つ大鳥居と同じ「四脚鳥居」だったそうです。
鳥居をの先に鎮座する狛犬は大きくて、後ろの尻尾まで重厚感あるつくり。
手水舎の奥には社務所があり、こちらで御朱印(書置き)がいただけます。
呼び出しは法具のひとつである「魚板」を叩いてと、ちょっと珍しい。
奥澤神社の社殿
現在の社殿は昭和時代に再建されており、尾州桧材を用いた室町期の建築様式によるもの。
旧本殿は2度にわたり九品仏浄真寺に移築されており、「観音堂」などとして改修されているそうです。
奥澤神社の境内社
社殿向かって左側には、お地蔵さまや石塔、何かの塚が…。
塚には龍の頭が埋め込まれています。
お地蔵さまは別当寺だった密蔵院の名残りのようです。
その右隣には八幡小学校発祥地碑、その隣に弁才天社「福寿弁天」が祀られています。
もともとは奥沢駅より南方100メートルほどの場所、湧水池「奥沢弁天池」に鎮座していたのですが、1950年(昭和25年)にこちらに。
奥沢弁天池の池の主は白蛇で、奥沢の田畑に水の恵みを与えていたと伝わっています(現在は商店街)。
奥澤神社の大蛇お練り神事
江戸時代に疫病が蔓延した時、名主の夢枕に八幡神が現われ、「藁で作った大蛇を村人が担いで村内を巡行させよ」と名主にお告げをします。
お告げ通りにおこなうと疫病は治まり、藁の大蛇は厄除けの守護神として崇められ、その後も年に1度村内を巡行する祭が始められたそうです。
それが現在、9月第2土曜日に行われる「大蛇お練り神事」。
ちなみに、1939年(昭和14年)から1957年(昭和32年)はおこなわれていません。
その理由が、木造の鳥居から石造の鳥居に替えた際、「石の鳥居では大蛇の腹が冷えてしまうだろう」と気づかったためなのだとか!?
その後、「神社は古いことを見直し、伝えるべきである」との当時の宮司さんたちの働きで復活しました。
奥澤神社の詳細
奥澤神社へのアクセス
- 東急目黒線:奥沢駅より徒歩3分
奥澤神社近くのおすすめ神社・寺
自由が丘熊野神社 | 赤い鳥居が印象的な、静かな庭園にある伝統的な神社。 |
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谷畑弁財天 | 住宅街に鎮座する水の神様。小さな神社ですが境内に池があります。 |
九品仏浄真寺 | 阿弥陀如来仏や釈迦如来仏、閻魔大王など多数の仏像がある広い寺院。秋には紅葉が美しいです。 |