天台宗大本山の東叡山 寛永寺(読み方はとうえいざん かんえいじ)は、2025年(令和7年)に創建400周年を迎えた歴史ある名刹。
江戸幕府と人々の安寧・守護を祈祷する道場として建立された德川幕府直轄の寺院です。
現在の根本中堂(こんぽんちゅうどう)は、1879年(明治12年)に川越喜多院の本地堂を山内子院の大慈院(現寛永寺)の地に移築し再建された建物。
創建400年記念事業として、東京芸術大学名誉教授の手塚雄二画伯により奉納された天井絵「叡嶽双龍(えいがくそうりゅう)」が奉納され、これまで非公開だったのが公開されることになりました。

目次
・歴史とご本尊・ご利益
・中陣特別公開
・山門
・境内
・根本中堂
・本坊前(石燈籠)
・御朱印・お守り・おみくじ
・アクセス
・主な行事・お祭り
・近くにある神社・寺
寛永寺 根本中堂の歴史とご本尊・ご利益
御本尊は、伝教大師最澄上人が彫られた秘仏・薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)。
比叡山延暦寺の根本中堂のご本尊と同様に伝教大師最澄が、脇侍の日光菩薩・月光両菩薩は慈覚大師円仁が彫られたものと伝えられています。
山号の「東叡山」は「東の比叡山」の意で、比叡山延暦寺を見立てています。
寺号の「寛永寺」は寛永年間に創建されたことによります。
宗派は天台宗。
宗祖は伝教大師最澄。
1625年(寛永2年)に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)に慈眼大師天海(じげんだいしてんかい)大僧正によって建立されました。
その後、第四代将軍・德川家綱公の霊廟が造営されたことで将軍家の菩提寺も兼ねるように。
さらに東叡山主(輪王寺宮)を皇室から迎えたことで、その格式と規模も国内国でもトップレベルに。
1698年(元禄11年)に現在の上野公園内大噴水がある場所に建立したものの、1868年(慶応4年)の彰義隊の戦争により焼失。
幕末の上野戦争により敷地の大部分が上野公園となりましたが、震災や戦争を経て新たに霊園を造営し、一般の方も受け入れるなど現在の形に至っています。
また、かつては30以上あった子院も、現在は圎珠院・覺成院・寒松院・吉祥院・見明院・元光院・現龍院・護國院・修禪院・春性院・ 眞如院・津梁院・泉龍院・等覺院・東漸院・福聚院・本覺院・養壽院・林光院の19院になっています。
寛永寺 根本中堂の中陣特別公開
中陣拝観料は500円、高校生以下は無料。
ちなみに、お守りやおみくじ類だけの拝受の場合、外陣までの参拝は無料(根本中堂に入ること自体は無料)で入れます。
公開は行事等によって中止、拝観時間の変更もあるので、公式サイトの開堂スケジュールを確認してから行くと安心です。
寛永寺 根本中堂の山門
美術館や博物館などがあるエリアから少し離れた場所、上野公園の北側に鎮座。
華やかで人も多い上野公園とは雰囲気が異なる静かな環境です。
山門前には「東叡山 寛永寺」と彫られた碑。


寛永寺 根本中堂の境内
門の正面には根本中堂。
まっすぐに伸びる参道の右側を中心に、上野戦争碑記や虫塚、銅鐘、六地蔵、寛永寺旧本坊表門(黒門)と根本中堂にあった鬼瓦、慈海僧正墓、尾形乾山墓碑・乾山深省蹟など歴史を偲ぶ品が点在していて見ごたえがあります。





↓左は明治維新の上野戦争の経緯を記した碑。
右の虫塚は、伊勢長島藩主の増山雪斎が写生に使った虫類の霊をなぐさめるため建てた碑。

4代将軍家綱の厳有院霊廟にあった銅鐘。
旧境内である上野公園内に残る時鐘堂(時の鐘)と共に、除夜の鐘で使用されているそうです。


天海大僧正が建て歴代の輪王寺宮が住んだ場所の門である、寛永寺旧本坊表門(黒門)に据えられていた鬼瓦は、見る角度によって表情が異なります。
根本中堂にあった鬼瓦の方が大きい。


宝塔の隣にあるのは聖観世音菩薩の像。
もともとは凌雲院境内墓地にあった、東叡山凌雲院4代目の慈海僧正の墓石です。

駐車場(一般参拝者が使用できるは不明)近くには、江戸時代前期の黄檗宗の僧・了翁禅師塔碑。
幼い頃から仏門に入り諸国を巡り、不忍池付近の薬屋で「錦袋円(きんたいえん)」と命名した薬を販売。
その利益で難民救済をおこない、寛永寺に勧学寮(図書館)を建てています。


寛永寺 根本中堂
根本中堂の前には、葵の御紋が入った青銅の灯篭が二つ、対になって置かれています。
笠の端の部分の「蕨手」と呼ばれる部分には、「蜃しん」と呼ばれる龍。
口から気を吐いています。


「根本中堂」と書かれた大きな看板が掲げらえたお堂は、明治維新の時に焼失し、1879年(明治12年)に川越の喜多院と上野の東照宮の二つのお堂を移築して一つのお堂に組み直して再建。
どちらのお堂も江戸時代初期に造られたもので、入り口に掲げている勅額「瑠璃殿」も江戸時代の創建当時そのままです(1698年)。
ちなみに「瑠璃殿」とは、薬師瑠璃光如来様をお祀りするお堂であることを示しています。




靴を脱いでお堂に入ると、右側に受付。
左側にお守りの授与スペースがありました。
外陣は内陣を囲うように御簾が下りており、奥に並ぶ須弥壇(しゅみだん)はあまりよくは見えません。
右側の受け付けて拝観料を納めて中陣(内陣)に。
縦約6メートル、横約12メートルの長大な天井絵。
大迫力の2体の龍を見上げて拝観することができます。
拝観料を納める際にいただけるパンフレットには、5つの見どころが記載されていますので、とてもわかりやすい。
また、堂内の欄間には四方を護るように十二支が彫られていますので、そちらも注目です。

須弥壇に並ぶ仏像は比叡山延暦寺に倣い、仏像の目線が参拝者の目線と同じ高さになるように安置されています。
これは「一切衆生悉有仏性(全ての生きとし生くるものは、仏性即ち、仏になる可能性を有している)」という、大乗仏教の思想を体現しているのだとか。

寛永寺 根本中堂の本坊前(石燈籠)
本坊前にある大きな木の下には、南部重直盛岡藩主が大第3代将軍家光に奉献した石燈籠。


寛永寺 根本中堂の御朱印・お守り・おみくじ
御朱印は根本中堂向かって左奥にある授与所で。
ちなみに、隣接する建物は本坊です。
通常御朱印の「瑠璃殿」の他、限定特別記念御朱印「根本中堂」と「叡嶽双龍」が数量限定で授与されています。
お守りは授与所と根本中堂で授与されており、根本中堂では「叡嶽双龍」をモチーフにした特別なお守りが授与されているので必見です。




寛永寺 根本中堂の詳細
寛永寺 根本中堂へのアクセス
- JR:鶯谷駅より徒歩9分
- 東京メトロ千代田線:根津駅より徒歩14分
- 各線:上野駅より徒歩19分
- 公式サイト:https://kaneiji.jp/
寛永寺 根本中堂の主な行事・イベント
- 5月:了翁会(了翁禅師御祥月忌)
- 6月:伝教会(伝教大師御祥月忌)
- 7月:檀信徒施餓鬼会大法要
- 11月:天台会(天台大師御祥月忌)
- 毎月12日:ご縁日法要(本尊:薬師如来)
寛永寺根本中堂近くのおすすめ神社・寺
| 東叡山寛永寺 護國院 | 400年の歴史がある寛永寺の子院の一つ。護國院大黒天、釈迦堂とも呼ばれています。 |
|---|---|
| 浄名院 | 東叡山寛永寺様の院の一つ。たくさんのお地蔵様が並ぶ光景は圧巻。 |
| 多宝院 | 御府内八十八か所四十九番目の札所。吉祥天を祀る吉祥堂があります。 |
| 妙泉寺 | 有名キャラクターの像が目を引く法華宗寺院。貧乏神が去るお参りの仕方があります。 |
| 本妙院 | 客人稲荷大明神を祀る寺院。また、性神信仰の金勢明神を祀る小さな祠もあります。 |
| 元三島神社 | 「三島さま」として知られ正岡子規ゆかりの地。定期的に変わる手花水と御朱印も。 |






