外苑東通りと乃木坂に面した場所にある乃木公園は、日清・日露戦争を戦った陸軍大将乃木希典(のぎ まれすけ)の元邸宅地です。
乃木将軍の遺言により公園として東京市に寄贈され、1913年(大正2年)に公園として開設。
現在は港区が管理しています。
緑に囲まれた庭園には旧乃木邸や馬小屋、家庭菜園など、かつて乃木将軍が過ごした空間が残されており、ベンチが置かれた休憩スペースでは春には桜が楽しめます。
隣接する乃木神社とは裏門で通じています。
目次
・乃木家祖霊舎
・旧乃木邸
・厩(うまや)
・乃木大将夫妻瘞血之處
・アクセス
・主な行事・お祭り
・乃木神社近境内
・近くにある神社・寺
乃木公園の乃木家祖霊舎
乃木神社の二の鳥居に向かうあうようにしてある裏門。
裏門から入ると、左側には乃木夫婦がよく訪れていた菜園が。
まずは右側手前にある階段を登ってみると広い空間に。
手水舎と乃木家祖霊舎がありました。
手水舎の奥には希典歌碑。
「武士は 玉も黄金も なにかせん いのちにかへて 名こそをしけれ 希典」
乃木家祖霊舎の前は広くとられ、マッカーサー手植えのハナミズキや乃木将軍手植えの月桂樹、もとは門柱だった燈籠などが。
もともと大神宮殿と祖先の霊を祀る家廟があったそうなのですが、遺言に基づき浄火で焼き、その後に乃木希典の中野の家にあった社殿を移築。
乃木家祖先と乃木ご夫妻・御令息の御霊をお祀りしているそうです。
乃木公園の旧乃木邸
陸軍大将・乃木希典の邸宅は、ドイツ留学でフランス陸軍の兵舎をスケッチしたものをもとに自ら設計し、1902年(明治35年)に新築。
普段は中に入ることはできませんが、窓沿いに外から見る事ができるようになっており、遺品が展示された大応接室や将軍が殉死した居室が外から窓越しにみれます。
ちなみに、乃木夫妻の命日に合わせて9月12・13日に一般公開(無料)されています。
旧乃木邸前の小道には、1891年(明治24年)に乃木希典が金沢で出会った辻占売りの少年(当時8歳)との銅像。
少年が辻占売りをしながら一家の生計を支えていることに感銘を受け、少年を励まし金二円を渡します。
やがて少年は金箔業の世界で大きな実績を積み上げ有名に。
この銅像は、乃木将軍の人となりを伝えるために造立。
旧ニッカ池(六本木6丁目)にありましたが、周辺整備のため現在地に移建されました。
その近くには乃木将軍銅版レリーフ。
旧乃木邸入り口前には、御供待所となつめの木。
日露戦争で要塞司令官ステッセルと会見した際(水師営の会見)、副官の兼松が記念に持ち帰ったナツメ樹の3代目。
その後ろには旧乃木邸の煙突。



乃木公園の厩(うまや)
乃木将軍の愛馬たちが過ごした厩は母屋改築より先に建築されたもので、英国より取り寄せたレンガで作られています。
ステッセル将軍から贈られた壽(ス)号もここで過ごています。
母屋よりも立派な見た目に、「新坂の馬屋敷」と呼ばれ評判になったほど。
馬用の井戸もあります。
乃木公園の乃木大将夫妻瘞血之處
レンガ造りの扉の奥には休憩スペース。
津久井利彰氏の「ひねり・うつり・ながれ」というオブジェクトと、シェアサイクルが。
毎年春にはサクラの大木がきれいな花を咲かせます。

階段を降りたところにも津久井利彰氏の作「樹に染まり96」。
美術館の屋外展示のようなアート空間になっています。
その先には、乃木大将夫妻瘞血之處。
殉死された時の血のついた物を埋めるところです。
乃木大将夫妻瘞血之處の前には、ご夫妻が生前、よく足を運ばれていた元乃木家菜園も。
乃木神社の詳細
乃木神社へのアクセス
- 東京メトロ千代田線:乃木坂駅1番出口よりすぐ
- 公式サイト:https://nogijinja.or.jp/
乃木神社の主な行事・お祭り
- 1月:昭和天皇祭、新春厄年祓大祭・どんと焼き、凱旋記念日祭他
- 2月:節分祭、赤坂王子稲荷神社祭他
- 3月:春季皇霊祭
- 4月:神武天皇祭遙拝式、昭和祭他
- 5月:のぎびと大祭
- 6月:水無月大祓式
- 7月:明治天皇祭
- 9月:例祭、秋季皇霊祭
- 10月:管弦祭、献茶祭、神嘗奉祝祭、正松神社祭・祖霊舎祭
- 11月:御鎮座記念日祭、明治祭、新嘗祭
- 12月師走大祓式
- 毎月1・13日:月次祭
乃木神社近境内
本社 | 乃木ご夫婦を祀る社。2023年(令和5年)に御鎮座百年を迎えました。 |
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境内社 | 正松神社、雷神木、赤坂王子稲荷神社とあります。 |
乃木神社近くのおすすめ神社・寺
赤坂氷川神社 | 赤茶色の社殿と大銀杏が目を引く東京十社の一つ。観光名所にもなっています。 |
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龍土神明宮 天祖神社 | 南北朝時代至徳元年に創建の歴史ある神社。港区七福神の福禄寿も祀っています。 |