【文京区】徳川家&新選組ゆかりの古刹!小石川傳通院

文京区にある浄土宗の寺、小石川 傳通院(伝通院/読み方はでんづういん)は、徳川家康の生母・於大の方(おだいのかた)をはじめとする徳川家由縁の方々の菩提寺。

境内の墓地には於大の方をはじめ千姫や孝子の方など将軍の奥方や子どもたちの諸廟所があり、また大志場磯五郎や腰元のお初、新選組の前身である浪士組の発案者・清河八郎、小説家の佐藤春夫や柴田連三郎など多くの著名人のお墓もあります。

また、傳通院ともいきくらぶ(教化活動)による別時念仏会や写経会、仏教讃歌と童謡の会、繊月法話会、寺子屋論語塾、論語サロン、俳句会、能講座澄声会、お寺ヨガ教室、将棋教室など多彩は活動も活発で、地域のコミュニティスポットになっています。

文京区 小石川傳通院





目次
ご本尊・ご利益
歴史
山門
境内
本堂
書院
観音堂
御朱印
文京朝顔・ほおずき市
アクセス
主な行事・お祭り
近くにある神社・寺
近くのおすすめグルメ
 

傳通院のご本尊・ご利益

山号は無量山。
院号は伝通院(傳通院)。
寺名は寿経寺。
正式名は、無量山傳通院寿経寺

ご本尊は、阿弥陀如来
無量聖観世音もお祀りされている、江戸三十三箇所観音札所の第十二番札所でもあります。

極楽往生、衆生救済・滅罪、念仏往生、慈悲など救済のご利益があるといわれています。

 

傳通院の歴史

1415年(応永22年)に、浄土宗第七祖了誉が無量山寿経寺と名付けて開山。
当初は小石川極楽水(現在の小石川4丁目15番)にある小さな草庵でした。

1602年(慶長7年)に徳川家康公の生母・於大の方が75才で逝去された際、寿経寺を菩提寺にされました。
その法名「傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」から「傳通院」と呼ばれるように。

1613年(慶長18年)には増上寺の学問僧300人を傳通院に移し、関東の十八檀林(僧の学問修行所)となり、1618年には稲荷大明神が一僧になって入門しています(慈眼院 澤蔵司稲荷)。

1647年(正保4年)には徳川家光の次男・亀松君が葬られ、徳川幕府の外護として諸堂伽藍が整えられていきました。

ちなみに、お墓があるのは徳川家康の母である於大の方、第2代将軍秀忠の長女・千姫、第3代将軍家光の次男・亀松、第3代将軍家光の正室・孝子、徳川家康の側室・於奈津の5名で、将軍は一人も埋葬されていません。

徳川家の墓域は傳通院墓地の北側にあり、ここに於大の方をはじめとする徳川家由縁の方々の古い諸廟所が多く建っています。

文京区 小石川傳通院

 

1721年(享保6年)と1725年(享保10年)に大火にあいながらも、1891年(明治24年)に芝三縁山より浄土宗学本校(現大正大学の前身)を無量山へ移転し、さらに傳通院境内に淑徳女学校を設立。

第二次世界大戦では建造物すべてを焼失していますが、再建に尽力し現在に至っています。




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傳通院の山門

2012年(平成24年)に再建された総ヒノキ造りの山門。

文京区 小石川傳通院 山門

文京区 小石川傳通院 山門

文京区 小石川傳通院 山門

 

山門向かって左端には「不許葷酒入門内」の石柱。

傳通院は於大の方で有名ですが、新撰組の前身の浪士組が結成された、まさに新選組発祥の地としても有名。

浪士組は傳通院の敷地内子院・処静院で結成されましたが、現在はすでになし。
「不許葷酒入門内」の石柱は新選組の名残でもあります。

幕府の最後の軍隊である彰義隊の結成式も傳通院でおこなわれてました。

浪士組の首魁であった清河八郎は暗殺後に傳通院に葬られ、今でも墓が残っています。

文京区 小石川傳通院

 

傳通院の境内

山門を入って左側には、ジョセフ岡本供養碑指塚金仏様が鎮座。

ジョセフ岡本供養碑は、1643年(寛永20年)に日本に潜入して捕まり、1685年(貞享2年)に傳通院にほど近いキリシタン屋敷にて亡くなったイタリア人神父ジョセフ・キィャラの供養碑
遠藤周作の「沈黙」にも登場し、日本に西洋数学を伝えたともいわれています。

指塚は、「指圧の心は 母心 押せば生命の泉湧く」のフレーズで有名な指圧の創始者・浪越徳治郎の塚です。

文京区 小石川傳通院

文京区 小石川傳通院
7月の参拝では、風鈴が飾られていました。

 

金仏様は、中央にご本尊・法蔵地蔵尊、脇待として右側に観世音菩薩、左側に勢至菩薩

法蔵菩薩から仏となられた阿弥陀様が、大衆信仰として親しみ易いお地蔵様の姿をもってお出ましになった…とされているそうです。

文京区 小石川傳通院 金仏様

 

さらに奥には鐘楼。

1839年(天保10年)鋳造の梵鐘がつるされています。

文京区 小石川傳通院 鐘楼

 

右側の広いスペースは駐車場として使われているようですが、文京思い出横丁や納涼盆踊り大会、文京朝顔ほおずき市などのお祭りの会場にもなっています。

文京区 小石川傳通院




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傳通院の本堂

江戸時代から残っていた山門や当時の本堂はすべて戦災で焼失。
現在の本堂は1988年(昭和63年)建立されました。

本堂にはご本尊の阿弥陀如来と無量聖観世音が祀られており、堂内に上がって参拝することもできます。

文京区 小石川傳通院 本堂

文京区 小石川傳通院 本堂

文京区 小石川傳通院

 

本殿脇の階段を下ると、半地下部分に徳川家に関する展示が少しあります。

文京区 小石川傳通院 本堂
本堂につづく階段下、両サイドから行けます。

文京区 小石川傳通院 本堂

文京区 小石川傳通院 本堂

 

傳通院の書院

1949年(昭和24年)に、富山県砺波の野村邸より移築。
1972年(昭和47年)に造園された無量庵庭があります。

文京区 小石川傳通院

文京区 小石川傳通院 書院

 

近くにある大きな碑には、仏教の経典の冒頭に出ている言葉「如是我聞(かくのごとくわれきけり)」。

このように私は聞いた」という意味です。

文京区 小石川傳通院

 

傳通院の観音堂

本堂左側には休憩スペース(観音堂)があります。

文京区 小石川傳通院 観音堂

文京区 小石川傳通院 観音堂

文京区 小石川傳通院 観音堂 休憩スペース

 

傳通院の御朱印

御朱印は、本堂の右側にある本坊寺務所でいただけます。

「本尊阿弥陀仏」の墨書に三法印が押される本尊の御朱印と、「無量聖観世音」の墨書に三法印が押される江戸三十三観音の御朱印とあります。

文京区 小石川傳通院

 

傳通院の文京朝顔・ほおずき市

7月に源覚寺(こんにゃく閻魔)月参堂 善光寺慈眼院 澤蔵司稲荷と共同開催される文京朝顔・ほおずき市。

傳通院では朝顔市として朝顔の販売をはじめ、寄席やミニライブ、江戸太神楽、ガラポン抽選、屋台グルメや体験コーナーの出店など、広い境内を使ってさまざまな催しがおこなわれていました。

また、千姫や於大の方とゆかりのある県からの出店や催しもあるなど、見ごたえがあります。

※傳通院の朝顔市の様子はこちら

小石川 傳通院 文京朝顔・ほおずき市

 




傳通院の詳細

傳通院へのアクセス
  • 都営三田線:春日駅より徒歩10分
  • 東京メトロ南北線・丸ノ内線:後楽園駅より徒歩10分
  • 公式サイト:http://www.denzuin.or.jp/


傳通院の主な行事・お祭り
  • 1月:修正会
  • 2月:涅槃会
  • 3月:春季彼岸法要会
  • 5月:施餓鬼法要会
  • 7月:新盆みたま祭り法要会、文京朝顔ほおずき市、納涼盆踊り大会
  • 9月:秋季彼岸法要会
  • 11月:十夜法要会
  • 12月:成道会、お身拭い式、仏名会、除夜の鐘
  • 毎月18日:観音祈願祭
  • 毎月第4土曜日:ご法話の会(別時念仏会)

傳通院近くのおすすめ神社・寺
慈眼院 澤蔵司稲荷 傳通院で仏教を学んだお狐様が祀られている霊場。
月参堂 善光寺 月に一度のお参りを推奨する月参堂。徳川家康公の母君ゆかりのお寺です。
源覚寺(こんにゃく閻魔) こんにゃく閻魔さまにこんにゃく、塩地蔵さまにお塩を奉納して健康祈願。
牛天神北野神社 御祭神は菅原道真公。授乳している狛犬さんがいます。
福聚院 小石川七福神の大黒天がご本尊。幼稚園が併設されています。
無量山 真珠院 開基は初代松本藩主・水野忠清。小石川七福神の布袋尊が祀られています。

傳通院近くのグルメ
稲荷蕎麦 萬盛 稲荷大明神が通った老舗の蕎麦屋。澤蔵司稲荷に奉納している箱そばは店内でも食べれます。




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