仁王門前の道路脇に鎮座する伏見稲荷大神と比翼塚。
どちらも、瀧泉寺の境内の一部です。
玉垣で囲まれ、稲荷大明神の赤い幟がたくさん奉納されています。
こちらの比翼塚は鳥取藩士・平井権八(しらいごんぱち)と吉原の遊女・小紫(こむらさき)を弔う塚で、二人の来世での幸せを祈り建てられたもの。
当時の江戸では悲恋物語として語り継がれ、浄瑠璃や歌舞伎の演目「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)」にも登場しています。
瀧泉寺(目黒不動尊)の伏見稲荷大神
赤い幟が立つコンパクトな境内に鎮座。
こじんまりとした社です。
瀧泉寺(目黒不動尊)の比翼塚
比翼塚(ひよくづか)とは、心中した男女や仲の良かった夫婦を一緒に葬った塚のことで、夫婦塚(めおとづか)とも呼ばれています。
平井権八と小紫を弔う比翼塚は、もともとは普化宗の東昌寺にあったのですが、明治の頃に普化宗が廃止され東昌寺は廃寺になり、料理屋「角伊勢」の庭内に移りました。
角伊勢では常時公開しているわけではなく、鍵がかかった場所にあったことからも、希望するお客さんに鍵を開けて見せていたそうです。
現在地に移転したのは昭和の頃です。
そんな瀧泉寺(目黒不動尊)に伝わる比翼塚の話は以下↓
平井権八は、1655年(明暦元)年に、因幡鳥取藩士・平井庄右衛門の子どもとして生まれ、幼い頃から剣の腕が優れていた少年でした。
ところが、18歳の時、父に侮辱を与えた家中の者を惨殺し江戸に逃亡。
剣術に優れていた事から、素性を隠して忍藩阿部家へ臨時の徒士になり、目立たないように暮らしていたのですが、人を助けたことで正規に取り立てられることになります。
その頃、吉原の三浦屋の太夫・小紫と知り合いなじみとなりますが、会うためには莫大なお金が必要。
正規の徒士では給金が到底足りない事から、権八は辻斬りを始めます。
その数、100人を超えると言われています。
やがてことが露見すると、権八はまたまた逃亡。
仁王門近辺にあった普化宗 東昌寺(ふけしゅう とうしょうじ)にかくまわれます。
ここで権八は改心し、死ぬ前に両親に一目会いたいとし、無僧になって故郷に戻ります。
ところが、すでに両親は他界。
観念した権八は江戸に戻ると自ら出頭し、1679年(延宝7年)に鈴ヶ森で処刑されます。
権八が処刑されたのを知った小紫は、権八の墓がある東昌寺で自害してしまいます。
それを哀れんだ僧侶が、二人の亡きがらを葬り比翼塚を建てた…ということです。
比翼塚の前にある立て看板には、「傾城の恋に眞こと無いとは誰が云うた まことありやこそ今が世に目黒にのこる比翼塚」とありました。
瀧泉寺(目黒不動尊)の詳細
瀧泉寺(目黒不動尊)へのアクセス
- 東急目黒線:不動前駅より徒歩12分
- JR山手線:目黒駅より徒歩20分
- 公式サイト:https://megurofudo.jp/
- J目黒不動尊LOVE:https://megurofudo.love/
瀧泉寺(目黒不動尊)の主な行事・お祭り
- 1月:開山忌(慈覚大師忌)、干支まつり
- 2月:豆まき式、涅槃會
- 3月:刷毛・筆供養會、春季彼岸會
- 4月:花まつり、大施餓鬼會
- 6月:山家會
- 7月:盂蘭盆會
- 9月:秋季彼岸會
- 10月:甘藷まつり
- 11月:霜月會
- 12月:成道會、星曼荼羅ご開帳
- 毎月28日:目黒不動尊大縁日
- 毎月8・18・28日:ご縁日護摩
瀧泉寺(目黒不動尊)境内
瀧泉寺(目黒不動尊)本堂 | 関東三十六不動霊場・十八番札所。福寿開運の仏・不動明王を祀ります。 |
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上境内 | 愛染明王や石不動、延命地蔵尊など多数の石仏が安置。甘藷先生の銅像も。 |
下境内 | スピリチュアルな伝説が残る独鈷の滝やたくさんのお堂が並ぶエリア。パワースポット・水かけ不動明王も。 |
瀧泉寺三福堂 | 弁天池にある、山手三福神、豊川稲荷、福珠稲荷大明神、白龍大権現を祀るお堂。 |
瀧泉寺(目黒不動尊)近くのおすすめ神社・寺
天恩山 五百羅漢寺 | 近代的な外観のお寺。十数年かけ作り上げた仏像彫刻を拝観できる、仏様のミュージアム。 |
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海福寺 | 目黒区の指定文化財である赤い山門の四脚門は、宇和島藩伊達家から寄進されたものです。 |
成就院(蛸薬師) | 御本尊が3匹の蛸にささえられる蓮華座に乗る薬師如来像。天台宗の寺院。 |