【世田谷】幕末の歴史が色濃く残るパワースポット!松陰神社

幕末の教育者であり思想家でもあった吉田松陰をお祀りする松陰神社(読み方はしょういんじんじゃ)は、学問の神様として崇敬を集める神社。

吉田松陰他烈士の墓所、吉田松陰が塾主を務めた松下村塾の模築、奉納された石灯籠など、境内にはそこかしこと歴史が感じられるスポットが点在する世田谷のパワースポットです。

また、門前町となる松陰神社通り商店街ではお買い物や食事も楽しめます。

ちなみに、松陰神社にはライブカメラが設置されており、公式サイトから境内の様子や混雑具合がうかがえます。

世田谷 松陰神社 鳥居





目次
歴史とご祭神・ご利益
参道
社殿
松下村塾(模築)
吉田松陰他烈士墓所
御朱印・お守り・おみくじ
例大祭
アクセス
近くにある神社・寺
近くのおすすめグルメ
 

松陰神社の歴史とご祭神・ご利益

ご祭神は、吉田寅次郎藤原矩方命(よしだとらじろう ふじわらのりかたのみこと)。

吉田松陰先生で知られる幕末の教育者・思想家で、長州(現在の山口県)藩士です。

身分や階級に関わらず勉学を教える私塾「松下村塾(しょうかそんじゅく)」を運営したことで有名。
高杉晋作や伊藤博文など、のちに明治新政府で活躍する人物を多く輩出しています。

そんな吉田松陰の功績にあやかり、学力向上や合格祈願のご利益があると言われています。

 

吉田松陰が亡くなったのは、1859年(安政6年)の「安政の大獄」。
まだ30歳という若さでした。

1863年(文久3年)に高杉晋作や伊藤博文などの門下生により、世田谷若林の地に改葬され、1882年(明治15年)には墓畔に社を築いて吉田松陰の御霊を祀る松陰神社が創建されました。

吉田松陰の故郷である山口県にも、法人は異なりますが松陰神社があります。

 

松陰神社の参道

最寄り駅は東急世田谷線松陰神社前駅。
松陰神社通り商店街を北へ進み、徒歩3分の場所に鎮座。

隣の若林駅からも徒歩5分程度で行くことができ、渋谷駅・五反田駅・用賀駅などから路線バスも出ているとアクセス良好です。

松陰神社通り商店街を抜けると、2011年に建て替えられた大きな黒い鳥居が。
以前は御影石の鳥居で、近くにその一部が展示されています。

また、社号碑には「府社 松陰神社」と旧社格が記されています。

世田谷 松陰神社

世田谷 松陰神社

 

緑に囲まれた境内。
奥に鎮座する社殿に向けて、参道がまっすぐ伸びています。

世田谷 松陰神社

 

参道の左側には、毛利家より寄贈された神楽殿と手水舎(2000年に大改修)、石像や碑、水琴窟などが。

神楽殿はお祭りや行事などの時に戸が開けられ、松の絵が描かれた舞台が見られます。

手水舎には、その年の干支を描いた大きな絵馬が。

世田谷 松陰神社 神楽殿

世田谷 松陰神社 手水舎

世田谷 松陰神社

世田谷 松陰神社 水琴窟

 

参道の途中には、吉田松陰のブロンズ像や、毛利元昭公や門下生より奉献された32基の石燈籠がズラリ。

石灯篭には、伊藤博文や桂太郎、乃木希典など、長州藩出身の重鎮の名が刻まれています。

世田谷 松陰神社 吉田松陰のブロンズ像

世田谷 松陰神社 32基の石燈籠

世田谷 松陰神社 32基の石燈籠

 

松陰神社の社殿

1928年(昭和3年)に造営された社殿。
創建時の御社殿は、現在の内陣になっているそうです。

世田谷 松陰神社 社殿

世田谷 松陰神社 社殿




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松陰神社の松下村塾(模築)

社殿の右側には、山口県萩の松陰神社境内に保存されている松下村塾の模築。

1938年(昭和13年)に、毛利藩代官屋敷の古材などを使用し国士舘大学構内に建築されたもので、1941年(昭和16年)に移築されました。

普段は雨戸が閉められ、土日祝の9時から16時まで開放されています(天候によっては開放しない場合もあります)。

部屋の間取りは10畳と、講義をおこなう8畳。

吉田松陰が教えていたのは2年半ほどで、講義を受けた人は90名前後と言われています。
主な塾生には高杉晋作、伊藤博文、久坂玄瑞、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、山縣有朋がいます。

世田谷 松陰神社 松下村塾

世田谷 松陰神社 松下村塾

 

ちなみに、松下村塾の建物の近くにも吉田松陰先生像。
手水舎前に置かれた像とは表情なども異なります。

世田谷 松陰神社 吉田松陰先生像

 

松陰神社の吉田松陰他烈士墓所

境内の左手には吉田松陰の墓所に繋がる参道。

吉田松陰の墓碑をはじめ、安政の大獄に連座した頼三樹三郎、小林民部、来原良蔵、福原乙之進、綿貫次郎輔、中谷正亮など多数の烈士の墓碑があります。

 

1863(文久3年)に、高杉晋作、伊藤博文、山尾庸三、白井小助、赤根武人などの門下生によって、吉田松陰の亡骸は千住小塚原回向院より世田谷若林大夫山の楓(紅葉)の木の下に改葬されました。

長州征伐の際には、幕府によって吉田松陰以下の墓は破壊されてしまいますが、木戸孝允などの手により1868(明治元年)に修復。

1869年(明治2年)に、整武隊長官が鳥居より墓前に至る道を整備して今に至ります。

世田谷 松陰神社 吉田松陰他烈士墓所

世田谷 松陰神社 吉田松陰他烈士墓所

 

参道の入り口、社務所側にある大きな木の根元には小さな社。
たくさんの大黒天様がいらっしゃいました。

世田谷 松陰神社 大黒天

世田谷 松陰神社 大黒天

 

鳥居を通り突き当りを右手に曲がると、1868(明治元年)に奉納された木戸孝允寄進の鳥居
「大政一新之歳、木戸大江孝允」と刻まれています。

世田谷 松陰神社 木戸孝允寄進の鳥居

 

鳥居の先、奥には吉田松陰他烈士墓所。
他、各所に烈士の墓碑。

世田谷 松陰神社 吉田松陰他烈士墓所

 

また、枝分かれした小道の先には長藩第四大隊戦死者招魂碑。

さらに、長州征伐で幕府が壊したお墓を木戸孝允が復建する際に、徳川家からお詫びの印として贈られた(奉納された)水盤と石燈籠も。

世田谷 松陰神社 吉田松陰他烈士墓所 水盤




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松陰神社の御朱印・お守り・おみくじ

御社殿の左側には社務所。
平日に休務日が設けられているので、公式サイトで要チェックです。

通常御朱印は1種類ですが、夏詣御朱印などの季節限定御朱印、27日(吉田松陰の月命日)とお正月には特別限定御朱印がいただけます。
もちろん、御朱印帳もあり。

世田谷 松陰神社 社務所(授与所)

世田谷 松陰神社 御朱印

 

授与品では、各種お札やお守りを用意しており、なかでも吉田松陰直筆の「勝守り」「勝絵馬」「志守(こころざしまもり)」「志絵馬」。
学問の神様のご利益をあやかった「合格祈願お守りセット(合格祈願のお神札・お守り・絵馬・五角鉛筆・栞)」は松陰神社ならでは。

勝守には「弱い心に負けないように」、志守には「初志を忘れず困難に立ち向かえるように」との願いが込められているそうです。

また、吉田松陰の門下生が、その後大きく花を咲かせたことにあやかった「大願成就 花まもり」「大願成就 花絵馬」も。
吉田松陰の故郷である山口県の県花「夏みかんの花」があしらわれています。

世田谷 松陰神社 授与品

世田谷 松陰神社 授与品

 

6月の茅の輪や夏の願掛け風鈴など季節限定の授与品もあり。

世田谷 松陰神社 茅の輪と大祓形代

 

おみくじでは、吉田松陰の御言葉が入った、ちょっと珍しいおみくじが。

松陰先生からのメッセージが書かれた「吉田松陰先生 お言葉みくじ」です。

世田谷 松陰神社 吉田松陰先生 お言葉みくじ

 

松陰神社の例大祭

例大祭は4月27日・10月27日の年2回

10月の例大祭では、松陰神社通り商店街による「松陰神社参道商店街 秋まつり」も開催。

「松陰神社参道商店街 秋まつり」は、コロナ禍の影響で終了してしまった、吉田松陰生誕の地である萩市と終焉の地である世田谷区による共同イベント「萩・世田谷幕末維新祭り」の代わりとして、2023年から始まったお祭りです。

 

松陰神社の駐車場

境内に有料駐車場(20台)あり。

最初の20分無料ですが、それ以後は料金が加算。
また、駐車場営業時間外(17時~翌7時)は入・出庫ができず、1泊500円の料金が加算されます(※2025年8月)。

年末年始など駐車場が利用できない日もあるので、混雑時やお祭り時は要注意です。

世田谷 松陰神社 駐車場

 




松陰神社の詳細

松陰神社へのアクセス


松陰神社近くのおすすめ神社・寺
若林稲荷神社 若林稲荷と天祖神社が合祀。松陰神社が管理されています。
青龍山 勝國寺 鬼門除けとして開山された新義真言宗の寺院。玉川八十八ヶ所霊場48番札所。

松陰神社近くのおすすめグルメ
韓国食堂よんま2 K-POPプロモーションビデオが流れる店内。本場韓国料理をランチ・ディナー・テイクアウト・お弁当で提供。




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