境内に銭洗辨天があることから「横浜弁天」とも呼ばれている羽衣町厳島神社。
清水が湧き出る境内の池は、金運向上のご利益があるとして古くから信仰されています。
江戸時代の頃は、羽衣町厳島神社を「下の宮清水弁天」。
元町厳島神社を「上の宮杉山弁天」と称していました。
また、宗像三女神と称される三柱の女神様を祀ることから、横浜弁天と合わせて金運・航海安全・交通安全・美容・芸事向上・商売繁盛のご利益を頂けるとされています。
目次
・ご祭神とご利益
・歴史
・鳥居
・境内
・社殿
・銭洗辨天社と豊受稲荷大明神
・御朱印
・アクセス
・近くにある神社・寺
羽衣町厳島神社のご祭神とご利益
ご祭神は、市杵島姫尊(いちきしまひめのみこと)・多紀理姫尊(たきりびめのみこと)・多岐都姫尊(たぎつひめのみこと)。
宗像三女神と称される三柱の女神様です。
水の神様として、航海の安全や交通安全のご利益があるといわれています。
本尊である弁財天像は弘法大師の作とされており、さらに江之島弁天と同木同材料!
昔は元町にあった別当・増徳院境内の仮殿(明治維新の神佛分離で増徳院より分離したのが現在の元町厳島神社)に安置して上之宮杉山弁天と称し、羽衣町厳島神社には前立の像のみを置いて下之宮清水弁天と称していました。
羽衣町厳島神社の歴史
創建は平安時代後期の治承年間、1177年頃。
源頼朝が伊豆国土肥にあった杉山弁財天を勧進したのが始まりと伝えられています。
源頼朝だけでなく、足利氏満が般若心経を奉納、太田道灌が社殿を再建、徳川家光が朱印地にするなど、歴史でも名高い武将から崇敬されていました。
当時は入江がある砂州上の寒村に鎮座していたことから、「洲干弁天社」もしくは「杉山弁天」「清水弁天」と呼ばれていました。
松林が続く景勝地で、四の鳥居まで続くほど広かったのだとか。
一の鳥居は、現在の神奈川県立歴史博物館(馬車道)辺りと言われています。
もともとは現在の馬車道駅あたりに鎮座していましたが、明治の街区整備で羽衣町に。
その際に厳島神社と改称しています。
ちなみに、羽衣町厳島神社が鎮座する場所は、江戸時代初期に埋め立て開墾された新田です。
羽衣町厳島神社の鳥居
羽衣町厳島神社の鳥居は、境内の北東側の鳥居と大通りに面した鳥居とあります。
ただ、大通りに面した鳥居から入ると駐車場に続いており、いったん境外に出てもう一つの鳥居から入ることになります。
鳥居の額は、両方とも「横濱辨天」と書かれています。
羽衣町厳島神社の境内
社殿の前は広くとられ、正面に社殿が見えます。
左側に手水舎と神札納所、神楽殿。
右手は駐車場(参拝者用か月極駐車場かはよくわかりませんでした)。
羽衣町厳島神社の社殿
社殿は明治の大火や関東大震災、戦災などで何度も焼失され、昭和に入って再建。
拝殿にも対い波に三つ鱗の神紋がみられました。
羽衣町厳島神社の銭洗辨天社と豊受稲荷大明神
赤い幟が立ち並ぶ銭洗辨天には神橋を渡って。
神橋の下には小さな神池。
鳥居の扁額には「銭洗辨天社」と書かれています。
岩窟に祠が二つ。
左側には銭洗いができる岩窟。
石像(道祖神?)と宇賀神がいらっしゃいました。
岩窟の先には豊受稲荷大明神。
たくさんの狛狐様がいました。
皆、個性的。
しかも、社にいらっしゃる狛狐様は顔つきが全く異なるつくり。
一方はおだやかなお顔ですが、もう一方は目つきが鋭い!?
お顔の向きも違いました。
羽衣町厳島神社の御朱印
御朱印は社殿左手の授与所で。
お正月の参拝では、由緒書き・神饌・御縁玉と一緒にクリアホルダー入りでいただきました。
御朱印には押されている神紋は波模様に三つ鱗。
手水舎にもありました。
羽衣町厳島神社の詳細
羽衣町厳島神社へのアクセス
- JR根岸線:関内駅より徒歩4分
- 市営地下鉄ブルーライン:伊勢佐木長者町駅より徒歩4分
羽衣町厳島神社近くのおすすめ神社・寺
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子神社 | 横浜の大国主さま。岡崎現代型の狛犬、猿田彦命の石像があります。 |
金刀比羅大鷲神社 | 横浜橋商店街の裏通りに鎮座。11月の「酉の市」は有名です。 |
第六天稲荷 | 第六天稲荷ビルの間に鎮座。小さいながらも整備された境内で、本殿の彫刻も見事です。 |