榛馬場とよばれた馬場のあった場所にある榛稲荷神社(読み方ははんのきいなりじんじゃ)。
本所に住む武士の弓馬の稽古場所であった馬場の傍らに祀られていた稲荷神社です。
大きな榛(カバノキ科の落葉高木)に囲まれていたことから、こう呼ばれるようになりました。
榛稲荷神社には、1837年(天保8年)に亀沢町の若者たちが奉納した1対の木製朱塗りの奉紙立が現存しています。
戦火からも残ったというのですからすごいですね。
人気の神社・お寺から地域に愛される神社・お寺まで日々参拝。喫茶店・カフェでのおいしい食事、うさぎのぽこちゃん、子育てと日常のアレコレを気ままに書き綴っています。
榛馬場とよばれた馬場のあった場所にある榛稲荷神社(読み方ははんのきいなりじんじゃ)。
本所に住む武士の弓馬の稽古場所であった馬場の傍らに祀られていた稲荷神社です。
大きな榛(カバノキ科の落葉高木)に囲まれていたことから、こう呼ばれるようになりました。
榛稲荷神社には、1837年(天保8年)に亀沢町の若者たちが奉納した1対の木製朱塗りの奉紙立が現存しています。
戦火からも残ったというのですからすごいですね。
JR線沿いに鎮座する永倉稲荷神社は、1階が永倉会館、2階が社殿となっている珍しい造り。
1913年(大正2年)に近くで火災があり、焼け跡から稲荷社の跡が発見。
占いから、この火災が稲荷大神の災だったとされ、祟りを鎮めるために創建された火厄よけの神社です。
1945年(昭和20年)に戦災で社殿を消失してしまったため、現在の墨田区緑四丁目に新しい社殿・社務所を建立し現在に至ります。
津軽稲荷神社は、錦糸町駅の北側、JR総武本線と平行して東西に走る北斎通り沿いにある稲荷神社です。
青森県弘前城主・津軽四郎為信の下屋敷にて、屋敷神として祀られていた稲荷神を祀っています。
1910年(明治43年)に錦糸町の町内会に払い下げられ、それ以降、地元の守り神として大切にされています。
また、津軽稲荷神社は昭和天皇の次男・常陸宮正仁親王の皇妃である正仁親王妃華子様とも深い関りがあります。
JRと東京メトロ線の停車駅「錦糸町駅」近くにある、大きな錦糸公園の一角に鎮座する千種稲荷神社(読み方はちぐさいなりじんじゃ)。
東京メトロ半蔵門線4番出口を出てすぐ、北斎通りに面した場所にあります。
公園では小さな子供たちが沢山遊んでおり、その姿を見守っているような、そんなパワースポット的な雰囲気があります。
こちらのお稲荷様は、五穀豊穣・商売繁盛だけでなく火除けの守護神として大切にされている神様。
特に火除けの力はすさまじく、撤去されても再建されること数回の実績(?)があるほどです。
墨田区にある徳之山稲荷神社(読み方はとくのやまいなりじんじゃ)は、住宅街のなかにひっそりと佇む小さな稲荷神社です。
徳之山稲荷神社がある場所は、1657年「明暦の大火」後に、本所築地開発を任された奉行・徳山五兵衛(重政)の屋敷があったところ。
徳山五兵衛は、掘割の開削や湿地の埋め立て、道路整備など、のちの本所の基礎を築いたと言われている人物です。
当時、屋敷内にはた稲荷社が祀られており、徳山五兵衛の死後、その徳を称えて合祀したのが徳之山稲荷神社の始まりです。
毎年5月には徳之山祭りが執りおこなうなど、地元町内会で大切に守られています。