蛇骨神社(じゃこつじんじゃ)は、またの名を蛇幸都神社。
新横浜駅から新幹線の高架を渡り数分ほど歩いたところにあります。
周囲は高いビルに囲まれた、コンビニの駐車場の一角にある小さいなお社。
都会の中にポツンとあり目立ちます。
白と赤と2つの鳥居が連なり、祠の柱には南国を思わせるようなカラフルなヘビの彫り物。
そして、大きなカエルの置物と白い蛇のお賽銭箱?
どこをみても特徴的な神社です。
目次
・歴史とご祭神・ご利益
・社殿
・うろこ石
・例大祭と御朱印
・アクセス
・近くにある神社・寺
・近くのおすすめグルメ
蛇骨神社(蛇幸都神社)の歴史とご祭神・ご利益
蛇骨神社(蛇幸都神社)の歴史は古く、文化・文政期に編纂された「新編武蔵風土記稿」にもその名が登場します。
人々の信仰から自然に発生した民間信仰神社のようで、御祭神は不明。
咳、腫瘍、精神病などの難病へのご利益があると信仰されています。
蛇骨神社の神像にはネパール由来の仏像で、神社の近くにある倉庫に安置。
仏像が持つ琵琶の先が蛇の頭になっているのだとか。
「蛇骨」と呼ばれる由来にはさまざまな説があり、代表的なものの一つとして、琵琶法師が悪さをする大蛇を封印したという伝承があります。
また、隣の篠原村の蛇袋と呼ばれた場所で殺した蛇を埋め、祠を建てて供養したという説も。
これは新編武蔵風土記稿にも記載されているそうです。
さらに、昔は「ヘビの骨を踏むと、足の裏から体の中に入って心臓に達して死んでしまう」と信じられていたことから、ヘビの死骸を葬るために祠を建てたという説も。
そんな蛇骨神社(蛇幸都神社)は、もともとは新幹線の高架側にあったそうです。
そこには塚と大きな杉の木があり、蛇骨神社は杉の木のたもとに鎮座。
杉の木は戦時中に切り倒されてしまい、その時に祠も消失。
塚は新幹線開通のための整地で埋められてしまいました。
蛇骨神社(蛇幸都神社)が再建されたのは2001年(平成13年)。
地元の有志によりおこなわれました。
お社の脇の碑に彫られている「蛇幸都神社」は、再建時に縁起の良い字を当てたものだそうです。
蛇骨神社(蛇幸都神社)の社殿
白い鳥居をくぐると、赤い鳥居の先に小さなお社。
白蛇様だけでなく、カエルなどの置物が多数ありにぎやか。
社に彫られている蛇は色付けもされていてカラフル。
南国を思わせます。
蛇骨神社(蛇幸都神社)の「うろこ石」
社の隣には「うろこ石」と呼ばれる巨石が。
この「うろこ石」は、蛇骨神社(蛇幸都神社)に伝わる伝承の一つ、琵琶法師の大蛇封印にまつわります。
大蛇は琵琶法師から琵琶を奪うのでしたが、琵琶が自然に鳴ってしまうので、大蛇の隠れている位置がバレバレ。
我慢できずに地中から姿を現した大蛇でしたが、琵琶法師に杖で叩かれ、そのまま眠ってしまいます。
蛇の体は少しずつ石となり、ウロコの文様をわずかに残していることから「うろこ石」と呼ばれるようになったのだとか!?
そうだとしたら、本当に大蛇です。
蛇骨神社(蛇幸都神社)の例大祭と御朱印
毎年9月に例大祭がおこなわれ、篠原八幡神社の神主さんが祝詞をあげています。
さらに、お神輿も繰り出されると本格的。
社のある駐車場は特設会場となり、さまざまな催し物がされにぎやかです。
また、12月には年越祭が、年が明けた翌1月1日のお昼過ぎまでおこなわれているのだとか。
参拝者には先着で、地元小机産のダイコンや甘酒、お神酒(運転者以外)が配られ、有料のお札や御朱印も用意されているそうです。
蛇骨神社(蛇幸都神社)の詳細
蛇骨神社(蛇幸都神社)へのアクセス
- 各線:新横浜駅より徒歩8分
蛇骨神社(蛇幸都神社)近くのおすすめ神社・寺
岸根杉山神社 | 高台に鎮座する篠原八幡神社の兼務社。500年の歴史あり。 |
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鳥山八幡宮 | 鎌倉鬼門鎮護として創建。見返り参道から日産スタジアムが見えます。 |
蛇骨神社(蛇幸都神社)近くのおすすめグルメ
フジビリヤ二 | 本場インド料理のお店。カレーもしくはビリヤ二のランチセットはハイコスパ。 |
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横浜ハイボール | レトロおしゃれな内装でリーズナブルなランチとお酒。喫茶&バーで利用できる禁煙可のお店。 |